㈱グローバル開発経営コンサルタンツ
専務執行役員 中小企業診断士 玉井 政彦

 

1. ブラジル全人口(1億9千万人)に占める日系ブラジル人の比率は0.8%
結局、第2回目に引き続き、第3回目も日系ブラジル人関連のお話になります。筆者が、昨年(2013年)2月末、「人文研」でヒヤリングした際、「日系ブラジル人」の総人口は160万人に達しているであろうとのことでした(勿論、推定値です)。

他方、2010年実施のブラジル国勢調査結果では、ブラジル総人口は、1億9,075万人強です。従い、日系ブラジル人のブラジル総人口に占める比率は0.8ばかりで1%にもなりませんが、ブラジルでの日系ブラジル人の評価には高いものがあります。いずれかの機会に、日系ブラジル人のブラジル国内での評価について、ご報告することとします。

 

2. 2008年には日本人ブラジル移住百周年を祝う
2008年、「日本人ブラジル移住百周年記念」行事が盛大に挙行されました。百年前の1908年(明治41年)、移民船「笠戸丸」が神戸港から第1回家族移民781人を乗せて、サンパウロ州サントス港に6月18日に到着したことから数えて百年になることで、百年祭を祝賀したと言うわけです(余談ながら、筆者は奇しくも2008年6月18日、日本の某大手外食企業の調査活動の為にサンパウロ市に出張していました)。

以来、第2次世界大戦が勃発するまで、日本人が農業出稼ぎ者としてブラジルの地を踏むことになるのですが、その末裔が、日本への「出稼ぎ」に出ることになろうとは、当時、誰もが想像さえしなかったでしょう。

<連載第3回おわり>

 

「笠戸丸について」

笠戸丸の概要: 1900年(明治33年)、イギリスの造船会社で建造され、ロシアの船会社で貨客船として使用されていたが、日露戦争中の1905年、旅順港内で被弾し沈没していたのを日本海軍が浮揚し、日本海軍に移籍し「笠戸丸」と改名された。1906年、海軍省から東洋汽船が運航委託を受けて、ハワイへ移民646名を運び、1908年(明治41年)には、神戸港からブラジルのサントス港に向けて移民781人を運んだ。1945年にはソ連軍に捕獲され破壊された。 <「ウイキペディア」から引用>

 

追記:

 結局、第3回目も「日系ブラジル人」について、お話をさせていただきました。それは、日本企業がブラジルに進出するには、日系ブラジル人の存在が大きく影響するためであり、日系ブラジル人の歴史的背景などをご承知いただいていた方が良いと思うからです。